龍馬の長崎への第一歩は島原から始まった。
日本を今一度せんたくいたし申候事ニ・・・・・
↑坂本龍馬が上陸した階段
ひ弱だった土佐の青年は、剣術修行、脱藩、勝海舟との出会いなどをとおして、海外との目を開き、日本の変革を考えるまでにたくましく成長をとげる。やがて龍馬は運命の糸に導かれるように長崎を目指すことになったのです。
元冶元年(1864年)春、軍艦奉行並勝海舟の随行員として坂本龍馬らは長崎への道を急いでいた。英仏米蘭4カ国連合艦隊の長州攻撃を阻止するために、海舟は外国勢との調停役としての幕命を帯びた旅立った。
このとき龍馬30歳、海舟の片腕ともいえる神戸海軍操練所の塾頭を務めていた。
一行は2月14日早朝、神戸港を出港。瀬戸内海をわたり大分佐賀関に上陸、そこから豊後街道で九州を横断し、熊本から有明海をわたって島原上陸、島原街道、長崎街道をへて目的の長崎に到着した。
往路10日間、復路9日間の旅だった。
「中村家別当家」屋敷門→
商店街の拡幅に伴い移転された屋敷門
龍馬を出迎えた門構えはその当時のまま残っている。
【往路】
『海舟日記』より
元冶元年 (一八六四年)
二月十四日
神戸を出港
十五日
佐賀関に入港
徳応寺に止宿
十六日
豊後鶴崎の本陣に宿泊
十七日
野津原に宿泊
十八日
久住に宿泊
十九日
内の牧に宿泊
二十日
大津宿を経て熊本城下新町の本陣に宿泊
(龍馬、海舟の使で横井小楠を訪ねる)
二十一日夜
(早朝?)
大津宿より乗船
島原
へ渡る
二十一日
払暁、島原へ着船城下本陣へ休息
(本陣とは、大名等の宿泊所で、島原では町年寄・中村家の屋敷が利用されている)直ちに出立。
此地より長崎迄は、土地磽かく、田畑の間大石雑わり、小石、道路満ちて甚だ悪し、雲仙の嶽噴火せしによるか、西洋に云うラアの之年を経しものあらむ
二十二日
会津(愛津)に宿す
二十三日
長崎着、日見峠甚だ難所、直ちに奉行之御役宅へ行き面会、洋船未着之由を聞く、福済寺旅宿となる
下記の地図は 『海舟日記』より、龍馬の長崎の旅の足取りを追ったものです。
龍馬の希望「長崎」を旅する
長崎県総合ガイドブック
大河ドラマ「龍馬伝」
長崎県推進協議会
坂本龍馬が長崎に初上陸した地 『島原』 〔PDF〕
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